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2016.03.06  米軍と日本軍の歴史【フィリピン取材記Part2-7】

相手国を知る事は歴史を知る事。
近代のフィリピンの歴史ということで、戦跡ツアーに参加しました。
なんと参加者は私一人。じっくりと一日かけて学習してきました。
特に太平洋戦争の歴史では、日米の戦いにフィリピン人が巻き込まれて多大な犠牲がでました。
天皇皇后両陛下も慰霊をされたことでもありますが、やはり一度は訪れたいと思っていたところです。
戦勝国アメリカの墓地は立派です。

米軍と日本軍の歴史【フィリピン取材記Part2-7】

 

日米の戦いが壁に描かれていました。
ここを境目に日本の悲劇が始まったので、正視はできませんでした。
日本の慰霊碑はマニラから遠く、戦後70年以上たったというの遺骨収集もまだまだです。

米軍と日本軍の歴史【フィリピン取材記Part2-7】

 

さて次は第一次世界大戦の飛行場とその管制塔です。
現在は、車が走っている通りが滑走路で、管制塔はレストランだそうです。
当時、飛行機はプロペラ機で今よりもずっと小さいく、2階建てでも十分管制できたようです。

米軍と日本軍の歴史【フィリピン取材記Part2-7】

 

空軍博物館は、空港隣接の空軍基地内にあります。

米軍と日本軍の歴史【フィリピン取材記Part2-7】

 

小野田さんがルバング島からの帰還という当時の新聞記事が展示してありました。40年以上も前の事ですが当時のマスコミ報道が思い起こされます。

米軍と日本軍の歴史【フィリピン取材記Part2-7】

 

ここに挙げたのは一部ですが、隣国との軋轢防止やアジア諸国の国益を私自身にとっても考える良い機会となりました。

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