お客様の声
お客様の声:介護福祉士としてのキャリアアップ
関西国際空港から鉄道で2駅、泉佐野市の有料老人ホームを訪問しました。最寄り駅からも徒歩圏内とのことでしたが、施設長さんが車で迎えに来て頂きました。本当言うと大変助かりました。とても暑い日でしたので。
今回の訪問は、国家資格である介護福祉士に合格したフィリピン人を採用するこちらのホームのMWO (旧POLO)登録申請のご支援です。
「アットコンシェルさんにお願いして本当に良かったです。フィリピン人を採用したものの、MWO申請のことは何も知らずどうして良いかわからなかったのです。行政書士さんから貴社をご紹介いただきました。」と、施設長さん。事務所の方々にも追加書類のご準備やコピー取りなどでお世話になりました。ありがとうございました。
今回採用する方は、EPA※1で来日して介護福祉士候補者として研修後、2023年4月に介護福祉士の国家試験に挑戦してみごと合格。特定活動ビザから専門職としての介護福祉士ビザに昇格です。ご自身でこの有料老人ホーム様に転職したいと応募されてきたそうです。その心意気を高く評価、採用が決まりました。管理団体からの拘束もなくなり、ご自身のキャリアアップとして転職を選択されたのです。
面接時も日本語を流ちょうに話して、介護の専門職として大いに期待できると、施設長さん。残念ながら当日は入社前でしたので、お会いできませんでしたが、次回必ずお話ししたいです。
※1 EPAとはインドネシア・フィリピン・ベトナムとの経済連携協定で来日した介福祉士候補者。3年以上の介護施設などで就労・研修後に介護福祉士の国家試験合格後は家族(配偶者・子)の帯同が可能、在留期間の回数制限なし、というように大きく就労環境が変わります。
施設内を見学させていただきました。
正面にお花と絵画、そしてミュージシャンマスコット人形たち。施設長さんのお好みとか。和みますね。私もお花、音楽が大好きです。
お花がいっぱいのホールでお食事、イベントなど、楽しみが増しますね。
空室を見させて頂きました。18平米の全室個室とのこと。また、こちらの施設の特徴は備品の補充もすべて施設側でするので、入居者さんのご家族の負担がないそうです。在所医療施設との連携で看護師さん常駐の24時間対応です。外科、内科、眼科、歯科とも連携していて安心ですね。
こちらの施設の特徴はもうひとつ、外国人の人気が高いことだそうです。空港から近いことで、特に東南アジアからの入居者さんがいらっしゃるとのこと。ご同伴家族も空港内や近くのホテルで宿泊して施設訪問も便利ですね。
お客様の声:ホテル調理スタッフと総務の方と
特定技能職職として沖縄のリゾートホテルの調理場担当スタッフ3名の方とお会いしてきました。フィリピンの大学を卒業後沖縄の日本語学校で学び、さらに専門学校で調理師としての資格取得後、特定技能職外食でホテルに就職。レストランの調理スタッフとして活躍されています。弊社のPOLO申請サポートも完了し、ご本人たちの帰国後の再出国の準備も整いました。
コロナ第七波が収束したタイミングをみて訪問しました。自己紹介からお仕事のことまで、初対面とは思えないほどのびやかに日本語で話をされて感動しました。特定技能1号から2号への移行について質問をされたのですが、まだ先の事と思っていたので適切に答えることができませんでした。素早く総務スタッフの方がスマートフォンで調べてくださって助け船を出してくださいました。ありがとうございました。みなさん特定技能2号への道筋も開けキャリアの積み重ねです。
ところで、フィリピン本国ではタガログ語と英語が公用語ですが、この方たちの出身ではイバロイ語、カンカナ語、イロカノ語などがあるそうで、日本の方言よりも大きい違いがあるとか。日本語N3の資格を取得したのも納得です。その他に食育インストラクター、マナー検定、簿記、情報表計算資格などもお持ちです。もちろん試験は日本語で。すごいですね。
懇談後にレストランのビュッフェを利用させていただきました。たくさんのお料理に目移りしていると、ふとガラス越しの調理室から手を振っている人に気づきました。直後に調理場に戻ったおひとりが素早く私を見つけてくれたのです。くるくるした目で微笑んだ姿に心が暖まりました。
ホテルは宿泊客が戻りつつあるそうです。クリスマスの飾りつけも南国らしさいっぱいです。プールのイルミネーションにも魅了されました。
コロナ渦で大打撃を受けながらもこちらのホテルは雇用を守り通し、フィリピン政府手続きも完了しました。「三年越しでしたが、本当にありがとうございました。」と総務部長さんのお声に私も胸が熱くなしました。
お客様の声:介護スタッフの職場再訪
POLO手続きでご支援した滋賀県の介護施設を訪問しました。フィリピン国籍3名(男性2名、女性1名)の介護福祉士が働いています。フィリピンのカレッジを卒業後来日して日本語学校と社会福祉専門学校で学びこちらに就職しました。
職場に慣れたDさんはフィリピンからご家族を呼び寄せました。娘さんの小学校入学の手続きは総務課長のSさんの補助のもと行いました。当時娘さんは日本語ができないため毎日泣いていたそうです。お母様が付き添って登校していました。でも最初に校長先生がこう言われたそうです。「大丈夫ですよ、安心してね」。半年後、娘さんの笑顔と自信が戻りました。
偶然にも校長先生はSさんの小学生の時の担任の先生だったそうです。娘さんがひとりで学校に行けるようになったら次はお母様の就職先と、常々おっしゃっていました。Sさんは地域の方たちと連携してこの事業所内の高齢者向け住宅のお食事の準備や後片付けを主に担当して頂くようお仕事をご紹介しました。
Dさんは小さい頃お父様がご病気になり介護を経験したそうです。そして介護職を将来の仕事にしたいと勉強を重ねてその夢を日本で実現できました。
いつも明るい声で電話対応をしてくださった総務スタッフの方にお礼を兼ねての訪問でもありました。気さくな方たちとの談笑でコロナ禍の介護現場と事務所の潤滑油にもなっている大切な役目も実感しました。事務長のNさんの誇りですね。
「お母様は熱心にお仕事に取り組んでおられて、日本語も上達しています。ふたりで働けば家計も安定しますよね」と、Sさんの声も弾んでいました。
---【職場再訪】---
POLO手続きでご支援した滋賀県の介護施設を再訪しました。「立木さん、次は冬どうぞ。雪の琵琶湖も良いですよ」と聞き12月に。雪が深いと交通事情で送迎にご迷惑をかけるので、初雪を見越しての再訪でしたが、残念ながら雪には出会えませんでした。その代わり、介護職Dさんご家族、特にお嬢様の成長に出会えました。来日直後は日本語もわからず毎日泣いていたそうですが、校長先生の「大丈夫ですよ、安心してね」のおことばどおり半年後、娘さんの笑顔と自信が戻りました。さらに1年後すっかり日本に溶け込んだ顔を私にも見せてくれました。
前回は勤務の関係で少ししかお会いできなかったもう一人の介護職員のBさんにもゆっくりとお会いできました。コロナ後のフィリピン本国の帰省を終え、職場に戻りました。Bさんは毎月本国のご両親に仕送りをしておりましたが、その中からお母様が飛行機代の積み立てをしていてくれたそうです。帰国できないコロナ禍での親御さんの待ちわびたお気持ちが伝わってきました。再来日後は従来通り、いえ、もっと張り切っています。後に加わったインドネシア介護職スタッフへ先輩として助言したり、休日には一緒に出かけたりと、楽しく生活されています。
最後に会談を設定してくださった総務次長のSさんの事、お伝えしたいと思います。本当にSさんのスタッフサポートは職場だけでなく、地域の方々との連携がすばらしいものです。Sさんはニュージーランド留学時の体験で、ホームステイのペアレントからは十分な支援が得られなかったものの、近隣の方たちからは親身になって相談に乗ってもらえて安心して生活できたこと。一人で悩まず周りの人に相談することと言う留学時の経験を職場でも生かしています。周りを巻き込んだサポートの輪作りがとてもお上手です。そして疑問に思うことは弊社にもご連絡いただき、私も少しお役に立てているのも嬉しいことです。
お客様の声:ITの国外試験に合格第一号に
ITエンジニアのビザで初来日のMさんはマニラの大学を卒業と同時に就職が決まり、POLOやPOEAの手続中に寄宿制の日本語学校で学びました。来日してからの業務にも素早く対応できました。その3ヶ月後、英語のIT試験に合格しました。全世界共通の試験ですので、日本人には壁が高いですが英語堪能なフィリピン人の強みが生かされましたね。こちらの職場では第一号とのこと。
彼の日本語能力は驚くほどです。4ヶ月のうちに会話をマスター、来日直後でもパソコンでの日本語入力もできました。今は業務を通してIT専門用語の日本語版もマスターです。一方社員の方はタガログ語も覚えて文化交流です。
彼は一人っ子で育ちましたが、日本にきてからはいきなり3人のお兄さんになりました。「イアンにいちゃん」と呼ばれています。週末は総務のお姉さんのお子さんたちに英語とタガログ語と日本語で遊んでいます。
来日前から業務開始まで、雇用企業、日本語学校、人材会社、面接の通訳そして弊社、まさに「ワンチーム」で共に進んで来ました。社長さんはフィリピンに出向き、ご家族の方にもご面会になり、来日後は社員の方が交代で日本の生活に慣れるようにご支援して彼はホームシックも皆無だったとか。
「立木さんのご支援がなければ間違いなくここまで来れていなかったと感じております。本当にありがとうございます!」
このお言葉をいただき、あらためてうれしく感じました。
お客様の声:1年経ったエンジニアの卵は
去年から今年にかけてフィリピンのITエンジニアの入国支援をした会社様を訪ねました。
2017年の冬にまず左側の彼女が初来日しました。出国時には家族や親戚が大勢見送ってくれたそうです。あれから1年余、仕事に慣れてからは東京を散策したり家族を日本に招待したりと、今の生活を楽しんでいらっしゃいます。
彼女は今、システム開発と更新の仕事を担っています。その1年後に、次の技術者として彼が来日しました。2018年の冬でした。先輩の彼女が暖かい食事を後輩のために作ってあげり何かと相談に乗っているようです。小学校からの仲良しなので姉弟みたいだねと話していました。フィリピン人は本当にオープンです。
採用したN社の社長さんにお話をうかがいました。
【アットコンシェル】:貴社はフィリピンに法人を設立されていますね。
【N社長】:本業のIT事業をする傍ら日本人のための保養施設を建設しましたが、人材不足を解消するためフィリピン人技術者発掘という目的もありました。
【アットコンシェル】:保養施設とITとはあまり関係性がないようですが。
【N社長】:家内の出身地というご縁もありますが、日本のシニアのために気候も人柄も温かいフィリピンで暮らせたらと施設を作りました。その一角をITオフショア開発の拠点にしました。彼女はその第1期生です。
【アットコンシェル】:貴社フィリピンオフィスを訪問して来日前の彼女ともお話しさせていただきました。また保養施設には日本語堪能なスタッフや日本料理がお得意なスタッフがいらして、長期滞在者の方々が安心して生活されているのを目の当たりにしました。
【N社長】:オフショアスタッフとして慣れたところで日本での本格採用としました。日本語も徐々に慣れてきて会社全体にも新風を吹かせているようです。英語堪能ですから海外のIT情報を素早く取り入れてくれるのも大変助かります。
良い方が入国して良い方を紹介してという良い循環が始まり、人との繋がりの大切さをあらためて感じました。
お客様の声:ご縁の繋がり
東京に本社を構え、日本・世界各地に支社を構える電子部品製造の会社様(N社様)には、2016年以来フィリピン人の就労でご相談に乗ってきました。既に複数採用されていますが、2017年は採用人数を増やしたことで手続き書類も増え、現地との確認をしながら作業を進め、フィリピン大使館提出に同行もさせていただきました。ようやく一段落したところのご訪問です。
【アットコンシェル】:1年半程前に貴社のビジネスパートナーの旅行会社様から、弊社のウエブサイトを通じてお問い合わせをいただいたのが最初のご縁ですね。
【N社様】:はい、フィリピン人エンジニアの就労ビザ取得手続きの一部で不明な点があり、出張手続きでお世話になっている旅行会社に問い合わせたところ、貴社をご紹介されました。
【アットコンシェル】:人事総務のベテランでいらっしゃるので、追加書類のご用意の事もよくご理解されていました。申請理由書作成で弊社のアドバイスをいたしました。その後書類をすべて整えて直接入国管理局に在留資格認定証明書交付申請手続きをされましたね。
【N社様】:はい、その後就労ビザも無事取得し来日したエンジニアは就労を開始しまして、日本での生活にも徐々に慣れていきました。技術的な新知識も取得したので、フィリピン出張もできるようになりました。取引先との確認事項や改善点なども現地の言葉で直接やりとりできるのは強みですね。出張最後には故郷の家族と水入らずの数日間も可能にして、元気で日本に戻ってきました。
【アットコンシェル】:それは大変うれしいことですね。両方の利点が集約できましたね。
【N社様】:はい、フィリピンの技術者の優秀性を実感したので今年は5名以上採用をと、フィリピンに出向き直接面接して来ました。5名以上はフィリピン側の就労規則に沿って現地人材会社や雇用庁との登録業務が必要で、実務についてはよく変更があるようですので、今回もご経験のある貴社にご相談をしました。(2017年8月現在では1名以上で登録が必要となっています。)
【アットコンシェル】:複雑な書類準備に大分日数がかかってしまいましたが無事承認を得ましたね。現在はフィリピンで最終手続きを進めているところです。
新社宅も完成したそうです。外国人の採用で先を行くN社様のさらなるご発展が目に浮かびます。
お客様の声:外国人雇用2年目
先日お客様のオフィスにお邪魔してきました。日本での就労ビザ手続き、英語雇用契約やフィリピン大使館就労局書類提出などでお手伝いをした会社です。
在住1年を過ぎたITエンジニアの彼は開発部隊で頑張っています。来日前はフィリピンで日本からのアウトソーシングの仕事をしていました。日本語は初歩からでしたが、もうペラペラ。
日本語テストをいつか受験したいそうです。
現在の住居はURアパート。会社が社宅として借り上げています。
【社長さん】:昔はあのあたりはゴミゴミしていたけれど、すっかり変わりましたね。
【アットコンシェル】:URは団地を再開発して若い人や外国人に住みやすい街にしているんです。管理もしっかりしているし緑も多い良い環境ですね。
【エンジンア】:住み心地はいいですね。静かで安全で大満足。夜中でも歩けるし。駅周辺はモールがあってすごく便利。
【アットコンシェル】:冬の寒さには慣れました?
【エンジニア】:大丈夫!寒いのもいい。フィリピンはずーっと暑いから。
候補のアパート下見に社長さんをお連れしました折、すぐに気に入って下さいました。
エンジニアの彼は1年ほど前に、1週間ほど滞在してこの会社で研修を受けています。そして1年後、いよいよ社員としてスタートを切ったのでした。住民登録にご一緒して手続きを済ませた日のワクワク顔が印象的でした。今年2年目で期待増幅中です。
お客様の声:B社様
2018年3月、地方中堅企業B社様からお電話をいただきました。
フィリピン現地グループ会社に従事する技術者を日本本社で本格的に採用する事が決まり、日本側の手続は無事終了して就労ビザも取得済みとなったこと。ところが、フィリピン海外就労関係機関の手続が必要と知って4月入社予定の技術者が足止めされて大変お困りとのこと。弊社の具体的なご支援内容を提案いたしました。
― お客様最初のメールです。―
突然のご連絡に関わらず、丁寧にご対応いただきありがとうございました。お世話をおかけしますが、引き続きよろしくお願いいたします。
― 最後のご連絡は次の通りです。 ―
立木様のサポートのおかげで、なんとか○○○○の採用にこぎつけることができました。
この年になって、いろいろと初めての経験もさせていただきました。本当にお世話になりました。
ご担当の方とは東京出張で一度だけ目にかかった後、フィリピン現地人材会社、技術者ご本人、そしてB社ご担当者様とメールや電話で綿密に情報交換をしながらコーディネーションを重ね、5ヶ月後に技術者の方の無事日本到着のご支援ができました。長い日数がかかってしまいましたが解決です。
人事ベテランの方でもフィリピン国については未知の部分がございます。そんなとき、弊社をご利用いただけます。地方の企業様にも安心していただける弊社のご支援です。
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